12月24日(火)ピアノお休み。忙しい一日。

2時就寝。7時起床。
昨日は1日中ずっと寝ていたので睡眠十分。疲れも大分取れました。

森博嗣先生のブログ「店主の雑駁」を読むのが毎日の日課なのですが、今日のブログが現在自分が置かれている環境に刺さったので、読み返すための記録として引用します。かなり長くてすみません。

暖かい書斎で、読書をして過ごしました。新しい本が多く出ないような世の中になっても、個人が読書を楽しめるのに充分な蓄積が既にあります。映画だって、毎日数本見続けても、一生で見切れないほどコンテンツがあります。僕の工作室には、僕が一生かかっても作りきれないキットがあります。豊かさというのは、そんなものなのかもしれません。これを、ビジネスマンが「不況」と呼ぶとしても、です。
 結局、今の段階でいえることは、これまでに築かれた既存の文化の延長線上で、その維持と保全を行っていくようなビジネスしか成り立たない、ということです。既にベストセラ作家になった人は、既にファンになった人たちに向けて書けば、それで食べていける、というような意味にもなりましょう。すべての企業が、そのような形でしか生き残れない。これを「生き残る」といえるかどうかは、意見が分かれるところでしょう。
 では、新しいものは生まれないのか。もちろん、大化けするものも、ときにはあります(計算づくでしょうけれど)。それに、方々で小さく、細かく生まれている新しさもないわけではありません。あたかも、水中から上がってくる泡のようなもので、非常に細かい。ときどき途中で泡どうしが合体して、大きくなる程度です。どれほど大きくなっても、水面に出れば、消える運命であることには変わりがありませんし、悲しいかな、大きくなるほど早く浮き上がります。
 かつては、大きいもの、つまり資本が集まった大きな泡は、長く存続するものと信じられていました。それは、この資本主義社会自体が成長期であり、あまりに泡立ったため水面が見えなくなっていたからかもしれません。好景気はいつまでも続き、経済はどんどん発展する、と信じられていました。今も信じている人たちが多いように見受けられますが、彼らは、とっくに撤収した賢い人たちに信じさせられ、墓場の賑わいとして残された埴輪のような偶像でしょう。

これから先の時代、どうやって生きていくのかを頭の片隅でずーっと考えています。確実に言えることは、今までの仕事のやり方では通用しなくなってきているという事。ではどうするのか?上記で森先生が書いているように、極力お金を使わず蓄積された文化を楽しむのか、新しいネット文化に挑戦するのか。
40代というのは、職場では責任のある世代で、これから先も家族を養っていくために生活費を稼がないといけないし、寿命もまだまだ何十年もあるから、将来の人生設計も考えないといけない。ネットが急速に普及して目まぐるしく世の中が変わっていく時代で、どうやって仕事で稼ぐのかを考えないといけない、一番大変な世代なのかなと思っています。

今日は仕事が立て込んでいて、VTuberを聞く余裕もなく集中していたらあっという間に1日が終わってしまった。久しぶりだけど、こういうスケジュールは嫌いじゃない。仕事があるのはありがたいことです。

仕事終わっても予定が色々、帰宅して3時半就寝。忙しかったなぁ…。

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